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ナレッジ

川村雅彦のサステナビリティ・コラム

『統合思考経営』のWhy, What & How(第25回)

なぜ今、「統合思考経営」なのか?
~ESGを踏まえた長期にわたる価値創造のために~

ISSBはシングル・マテリアリティ(後編)
~株主資本主義とステークホルダー資本主義の間で~

Table of contents

  1. 生煮えの「ステークホルダー資本主義」
    1. 「ステークホルダー資本主義」の登場と頓挫
    2. 「株主至上資本主義」と「ステークホルダー資本主義」は対立概念か?
    3. ステークホルダー資本主義は「情けは他人の為ならず」?
    4. ステークホルダー価値に依存する企業価値と株主価値
  2. 株主の背後にいるのは誰か?
    1. ステークホルダー資本主義を唱導するラリー・フィンク
    2. 年金基金の背後にいる「真の株主」
    3. ラリー・フィンクの「ステークホルダー資本主義」の考え方

前回(第24回)は(中編)として、ISSBのIFRS S1基準の狙いを踏まえて、資本と価値、ダブル・マテリアリティとシングル・マテリアリティの関係を考察しました。今回は(後編)として、その背景にある長期的・持続的な価値創造の観点から、「株主資本主義」と「ステークホルダー資本主義」の関係について考えます。

生煮えの「ステークホルダー資本主義」

「ステークホルダー資本主義」の登場と頓挫

2019年8月、米国主要企業の経営者団体ビジネス・ラウンドテーブルが、従来の「株主至上主義」を脱して「ステークホルダー資本主義」への転換を宣言し、世界中に衝撃を与えました。短期的な利益追求による米国社会の格差拡大などを背景に、『企業の目的に関する声明』で、株主だけでなく顧客、従業員、取引先、地域社会のステークホルダーの利益を尊重した事業運営に取り組む、と明言したのです。

翌2020年1月に開催された50回目のダボス会議(世界経済フォーラムの年次総会)では、「ステークホルダーが創る、持続可能で結束した世界」というテーマが掲げられました。会長のクラウス・シュワブは「ステークホルダー資本主義の概念に具体的な意味を持たせたい。」と語っています。改訂された『ダボス・マニフェスト2020』では、企業は顧客、従業員、地域社会、さらに地球環境や将来世代、そして株主などあらゆるステークホルダーの役に立つ存在となるべきであること、が強調されました。

しかし、このようにステークホルダー資本主義の機運が高まっていた矢先、突然2020年2月頃から世界がコロナ禍に見舞われ、各国政府は「予防か経済か」で揺れました。2022年2月にはロシアのウクライナ侵攻が始まり、米欧日ではウクライナ支援とともにエネルギー安全保障が重要課題となりました。悪いことには、第四次中東戦争から50年たった2023年10月に、ハマスとイスラエルの戦闘が始まりました。

これは何を意味するのか。2015年の文明史的なSDGsの採択とパリ協定の締結によって、世界は21世紀の“ありたい姿”を確認したにもかかわらず、現実は真逆の分断・対立状態に陥り、足元の問題を優先せざるを得なくなったのです。その結果、サステナブルな地球社会の実現をめざす「ステークホルダー資本主義」の議論と実践は頓挫し生煮えになった、と言わざるをえません。

「株主至上資本主義」と「ステークホルダー資本主義」は対立概念か?

ステークホルダー資本主義の議論は生煮えとは言え、その基本概念は、「企業は株主のためだけにあるのではなく、様々なステークホルダーの利益にも配慮しなければならない。」と明確です。一方、株主資本主義は「企業は株主利益の最大化だけに専念すべきである。」と主張しています。ただ、ステークホルダー資本主義であっても株主は歴然といますので、ここでは「株主至上資本主義」と呼ぶことにします。

株式会社の歴史を振り返ると、「会社は誰のために存在するのか」という命題に行きつきます。その源流は1930年代の米国における「所有と経営の分離」論争にありますが、その論点は「取締役会は誰の受託者か?」というもので、二つの見解に分かれました。一つは「株主の受託者」であり、他方は「社会全体の受託者」です。それは、そのまま現在の“二つの資本主義”に引き継がれているようです。

  • (注)エージェンシー理論
    所有と経営が分離する株式会社では、しばしば株主と経営者の利害が対立する。そこで話題となるのが、両者の関係をプリンシパル(委任者=株主)とエージェンシー(受任者=経営者)でとらえる「エージェンシー理論」(ジャンセンらの論文、1976年)である。伝統的には情報開示とガバナンスが議論されるも、ステークホルダーと時間軸はあまり認識されていないようだ。

一見、株主至上資本主義とステークホルダー資本主義は対立しているように見えますが、「株式会社の最終目標を冷静に見極めると、両者は対立概念ではない」という考え方があります。つまり、企業利益を介して株主利益を獲得するという点で、両者の基本構造は同じであり、単にアプローチの違いに過ぎない、というものです。いかがでしょうか。

ステークホルダー資本主義は「情けは他人の為ならず」?

ここで有名な2人を取り上げます。1人は、ノーベル経済学賞を受賞した米国の経済学者ミルトン・フリードマン。彼は1970年にニューヨーク・タイムスへの寄稿で、株主至上資本主義の立場から、「企業の社会的責任は、利益を拡大し納税すること。・・・・・企業は原則として、株主の利益を最大化すること以外に何ら責任を有していない。政府は税金を適切に使えばよい。」と述べています。

これに対比されるのが、ヒューレット・パッカードのCEOであったカーリー・フィオリーナ。彼女は2003年に行ったBSR(社会的責任のためのビジネス)の年次総会で行った講演で、「私達はフリードマンを超えようとしている。・・・・・企業が事業を行う社会に対して、何ら責任を有しないという考え方は近視眼的である。長期的に見れば、決して持続可能なビジネスとは言えない。」と訴えました。

彼女の主張は、短期的には株主利益の最大化に反するようなステークホルダー利益のための支出や投資であっても、長期的には企業経営はうまくいき株主利益につながるという論理です。「ステークホルダー資本主義」という言葉は使っていませんが、これをどう理解するべきでしょうか。

ステークホルダー価値に依存する企業価値と株主価値

確かに、フリードマンとフィオリーナの考え方には短期か長期かという時間軸の違いはあるものの、「株主利益の最大化」という目標からは逸脱していない、と見ることもできます。その意味では、上述のように株主至上資本主義とステークホルダー資本主義は対立概念ではなく、「単にアプローチの違い」ということになりかねません。しかし、果たしてそうでしょうか?

両者の最大の違いは、企業の事業遂行においてステークホルダーを通じたサステナビリティ課題を実感し、それを自らの価値創造のための経営課題として取り込むかどうかです。つまり、旧IIRCの「価値創造・維持・変容プロセス」にあるように、ビジネスモデルに投入する6資本はステークホルダー価値の裏返しと位置づけることができるかどうかです。

経営戦略的な表現をすれば、バリューチェーンにおける気候変動やエネルギー・資源問題、生態系の劣化・喪失、あるいは人権問題・格差や人的資本など、企業価値とステークホルダー価値にかかわる経営環境の構造変化に対して、長期的かつ持続的な“経営能力の向上”を担保できるかどうかです。

このように考えると、やはり、長期的な業績向上(その結果として株主価値)はステークホルダー価値に依存する、と明確に認識できます。このことは、シングル・マテリアリティとダブル・マテリアリティの関係と同じ構造です。つまり、資本市場における「企業が環境・社会から“受ける”インパクト」と「企業が環境・社会に“与える”インパクト」の密接不可分性と同じです。

株主の背後にいるのは誰か?

ステークホルダー資本主義を唱導するラリー・フィンク

前項では、ステークホルダー資本主義の展開に影響を与えた人物として、経済学者のフリードマンと企業経営者のフィオリーナを取り上げました。しかし、もう一人、外してはならない金融界の現役経営者がいます。それは、世界最大の投資運用会社である米国ブラックロック(運用残高10兆ドル≒1500兆円)の会長兼CEOのラリー・フィンクです。

フィンクは日本では必ずしもそのように理解されていませんが、資本市場でステークホルダー資本主義を信念をもって唱導・実践している人物です。筆者の認識する人物像は、以下のとおりです。

  • 「資本主義の力」を信じる資本主義者である。ただし、株主・投資家のためだけではなく、投資先企業にかかわる人々(従業員や生活者など)の利益も考える。
  • ステークホルダーを視野に入れたサステナビリティの唱導者である。世界的課題の解決をめざす長期視点のサステナブル投資家であり、企業の長期的な成功につなげる。
  • サステナビリティに重点を置くのは、環境主義者や社会運動家の立場ではなく、年金基金の運用受託者ゆえである。その背後にいる年金加入者(長期資金の出し手=真の株主)を見ている。
  • (注)上場投資信託「iシェアーズETF」を主力ブランドとするブラックロックだが、フィンクがステークホルダー資本主義を唱導することについては、資本市場関係者だけでなく左右両派からも様々な批判を受けてきたことも事実である。近年、米国ではESG投資が“政治問題化”したことから、2023年6年には「もはやESGという言葉は使わない。」と述べている。

年金基金の背後にいる「真の株主」

フィンクは10年にわたり毎年初に、「投資先企業CEO宛の書簡」を書いています(公開)。筆者が彼に注目したのは3年前で、あることに気づきました。ブラックロックの主要顧客である年金基金の背後にいる、年金加入者(最終受益者)のために、退職後の生活資金を長期的・安定的に提供することをめざす、と明記していたのです。因みに、同社の受け持つ年金加入者は6000万人に及ぶとのことです。

年金加入者の老後資金を意識することは、年金基金の運用受託機関として当然かもしれませんが、投資先企業CEO宛のレターにわざわざ書くことに感じ入りました。ステュワードシップ活動により、年金基金に運用益を届けるのは「受託者責任」ですが、多くの受託機関はここで留まっています。

しかし、フィンクはもう一歩進めて、年金基金の背後にいる資金の出し手である「真の株主」ともいえる年金加入者が、長期的・持続的に年金を享受するためには、投資先企業がサステナブルな発展を遂げなければならい、と訴えています。

ラリー・フィンクの「ステークホルダー資本主義」の考え方

フィンクが2022年1月に投資先企業のCEOに宛てた公開書簡『資本主義の力』から、筆者の理解に基づいて、彼のステークホルダー資本主義にかかわる考え方を紹介します。

(1) ステークホルダー資本主義の基本的な考え方
  • 多くの企業経営者から学んだことは、明確なパーパスと確固たる価値観の大切さ。より重要なことは、経営者が主要ステークホルダーのため重責を認識していること。これがステークホルダー資本主義の基盤である。
  • ステークホルダー資本主義は、政治でもイデオロギー的なWoke(社会的に目覚めている)でもない。企業の繁栄が依存するステークホルダーに利益をもたらす関係構築で実現する資本主義である。
  • グローバルにつながる現代において、株主に長期的な価値をもたらすには、企業はステークホルダー価値を創造し、評価されねばならない。これにより資本の効率的配分と企業の持続的収益力が達成される。
(2) 資本主義の力

資本主義には、社会を形づくり、変化の強力な「触媒」となる力がある。

  • 資本主義には、人々のより良い未来の実現を助け、イノベーションを牽引し、強靭な経済を構築することで、直面する厄介な世界的課題のいくつかを解決できる能力があると信じる。
  • 「触媒」となるには、変革によって負の影響を受ける地域社会の支援、新興国への資本投下の促進、世界経済のサステナビリティに不可欠なイノベーションとテクノロジーへの投資が必要である。
(3) 市場の「創造的破壊」をもたらす新たな資金源
  • スタートアップ企業は、かつてないほど容易に資本を調達できるようになった。これがイノベーションを生むダイナミックな資本環境を促進している。
  • スタートアップ企業であれ、既存の大企業であれ、長期的に成功するダイナミックな企業に投資する必要がある。これが資本主義者として、また運用受託者としての責任である。
(4) 資本主義とサステナビリティ(ゼロネット社会への移行)
  • 気候リスクは投資リスクである。脱炭素化に向けた意欲的な目標設定と移行計画は始まったばかりだが、サステナブル投資に向けた地殻変動的な資本の再配分は加速している。
  • ネットゼロ社会への移行(特に、エネルギー・トランジション)は、これまでにない投資機会となり、長期にわたる膨大な雇用機会を創出する。適応できない企業は淘汰される。
(5) 受託者として重視するサスティナビリティ(脱炭素化の移行計画)
  • サステナビリティ重視のアプローチとして、投資先企業に脱炭素化に向けた「移行計画」を求める。「将来への適応力」を把握する上で不可欠であるため、TCFD準拠の情報開示を要請する
  • ダイベストメント(特定セクターから資本の引揚、炭素集約度の高い資産を上場企業から非上場企業へ移動)だけでは、ネットゼロ社会は実現できない。よって、ダイベストメント方針はとらない。
(6) ESGの議決権行使で、株主に力をもたらす
  • 企業は「株主に対する責任」として、どのようなESG(サステナビリティ)方針を定め、どのように展開するのかを明示することが必要。その適否判断により、株主は議決権行使を行使すべきである。
  • 個人投資家を含むあらゆる投資家が、議決権行使のプロセスに参加する選択肢を持つことをめざす。これにより資本主義に民主的な要素がさらに加わる。
  • (注)ブラックロックは、2021年のエクソンモービルの株主総会で、他の機関投資家とともに小規模ファンド「エンジン・ナンバーワン」の推薦する環境派取締役3人に賛成票を投じた。その結果、過半数の得票で可決した。画期的である。
(7) 「ステークホルダー資本主義センター」の設立
  • 企業が社会における自身の役割について熟考し、従業員、顧客、サプライヤー、地域社会、そして株主の利益に資するように行動することで、企業の長期的・持続的な成功につながると確信する。
  • しかし、企業とステークホルダーとの関係や対話が、長期的な企業業績と株主価値にどのような影響を及ぼすのか、研究すべき点が多く存在する。その議論と共有の場として、「ステークホルダー資本主義センター (The Center for Stakeholder Capitalism: CSC) 」を2022年に設立した。
(8) パーパス(企業の存在目的)

パーパスとは激動する経営環境における羅針盤である。それをステークホルダーとの関係の基盤と位置付けることが、企業の長期的な成功の鍵となる。

  • 企業の多岐にわたるステークホルダーの相反する利害に対応することは容易ではない。それゆえ、企業はそのパーパスを羅針盤(判断基準)とすることが、これまで以上に重要となってきた。
  • 企業がパーパスに真摯に向き合い、長期視点から激動する世界に適応できれば、その成功を通じて株主に持続的なリターンを届け、ステークホルダーに「資本主義の力」をもたらすことができる。

次回は(続後編)として、ブラックロックの提唱する「ダブル・ボトムライン」を踏まえつつ、「インベストメント・ループ」について考察します。